英語を話せないままの海外移住:Dr.EKOが歩むグローバルなスポーツ医学博士の道

dr.eko博士
 "スタンフォード大学のキャンパスや校舎が背景"  "Dr.EKO博士のプロフィール写真が右下に配置" 

 

サマリー

Dr.EKO博士の経験とキャリアを紹介する本記事は、手術以外の医療を求めて米国スタンフォード大学での研究員生活に飛び込んだ経緯を記しています。日本人初のスタンフォード大学PM&Rスポーツ診療部の研究員として、スポーツ選手や労働者の健康管理に尽力したDr.EKO博士が、健康意識の高い患者たちとの出会いから得た洞察を元に、現代医学を応用した健康管理の重要性を伝えます。難易度は星1つです。

文字数 1860文字程度

難易度 ★☆☆☆☆(星5つ中1つ)

 

渡米に至った秘密は、夢の整形外科医として、その職を全うしていた十数年にあります。

バスケットボール学生選手として順風満帆だった中学生で負った足の怪我から、医師を志しました。特にスポーツに関係する怪我を治療する医師になれたらいいな、という漠然とした夢から物語は始まります。

怪我をするまで、スポーツ活動ばかりでした。医学部の大学受験なんて当時、だれからも期待されていませんでした。当時通っていた高校に進学コースはなかったので、医学部への現役合格者が出たのは10年前でした。

医師になるには大学受験するしかないと聞かされ、スイッチが入りました。スポーツや遊ぶ時間を減らし、受験勉強開始。結果、合格ラインを辛うじて超えた点数で、なんとか医学部へ入学できました。

結局、医学部の学生時代は、「「バスケ部に入学したの?」「体育学部あったっけ?」と、揶揄されるほどスポーツ時間を多めに過ごしました。

それが、卒業時の医師国家試験への受験勉強期間は人が変わります。なぜなら、勉強の内容がそもそもとても興味がある医学なので、スイッチの入りようが違ったからです。最終的には、前年度比較による成績上昇率が学年トップとなっての卒業と国家試験合格。そして、いよいよ憧れの整形外科医となりました。

そこから十数年、手術医として自己研鑽に励みました。真面目に真摯に、多くの患者さんと向き合い続けました。外科医の技術を磨くだけでなく、研究者の学会活動など学識経験も積み上げ、常に最良の治療法を提供することに、文字通り命をかけて取り組んでいました。留まる事ない勢いで研鑽を積むので、比較的早くから重責を果たす立場でした。そして、並列するのか分かりませんが、同時にスランプに陥ったのも早かったと思います。

スランプとは治療を続ければ続けるほど、医療の限界を感じ始めてしまったことでした。外科医として邁進し医療を信じてきたからこそ、治りきらない患者層に心が揺れ動かされました。特に、他の医療施設から紹介状を持って、私の診療に訪れた時です。

満足に治りきらないと訴えるのですが、記載してある治療内容に何か間違いがあるわけでもなく、むしろ丁寧な治療を受けていた様。あちこちの病院を回り、彷徨っているように見えました。彼らはけっして、仮病や精神疾患ではなく、むしろ、ヘルスコンシャスネス(Health consciousness)といった健康への意識が高いからこそ感じる悩みを訴えていたのです。

単に怪我や病気の状態ではないだけでなく、「真に健康になりたい」、「恐怖や不安なく生活に戻りたい、スポーツをしたい」、そういった患者さん達へ答えるにはどうしたらいいのか。満足した結果に至らない患者達の存在が、私の背中を押すことになりました。

とうとう、手術以外の治療法を探しに、世界へ出ることを決意しました。

場所は米国カリフォルニア州。スポーツ医学の世界最高峰、米国スタンフォード大学PM&Rスポーツ診療所です。スタンフォード大学は、金メダルを受賞する選手数が世界トップです。スポーツに関わる人なら知らない人はいない、だれもが憧れる聖地。

私は、当時国内では唯一であった健康科学スポーツ学科で、医学博士号を取得した翌月に渡米しました。グローバルなスポーツ医学研究員として新たなキャリアが、これ以上ない環境でスタートされました。2016年の7月、その後人生が180度変わってしまうとはいざ知らず、カリフォルニアのブルースカイに魅了され、単身、片道切符での渡米となりました。

Dr.EKO


 

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 【掲載情報一部抜粋】

2018 3月

ふみログ・シリコンバレーインタビュー特集。申請者の半生をまとめた記事「外科医を降り、大学院で0から学び直す決断に至った理由」が掲載。

2018 11月

「わさびのブログ」に、タイトル「福島 八枝子さんの公演を拝聴に!」として掲載(2018 シリコンバレ−日本大学主催、招待講演(神戸市))。申請者が実施した講演内容の詳細。

2019 5月 メディゲート医師ペディア(5月16日付)

日本国内の医局とはコネクションがないスタンフォードPM&R科スポーツメディスン科へ日本人として初めて、臨床研究医としての採用へ至った経緯とアメリカでの生き抜き方を特集。単独インタビュー。

2020 Webサイト「ちとバス」【日本のバスケを盛り上げる】企画(5月1日付)

欧米のスポーツ医学を学んだ後に帰国した福島が今後、日本スポーツ医学界へもたらす影響や展望をまとめた取材記事。

2021 整形外科の今を伝えるORTHO PEDI No.30(オルソペディ)(10月11日付)(企画:中外製薬、出版:羊土社)「Go Study Abroad!留学へ行こう!」執筆掲載

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